HIZA-GAR
PHOTOGRAPHER
1980年福島県いわき市生まれ、松坂世代。
専門卒業後、憧れのカメラマンに師事。そこで泥水をたっぷり飲んで地元へ戻る。出版社・広告代理店・飲食店広報を経てフリーに。カメラマン・デザイン・ライターなどを一人でのんびりと。甘酸っぱい思い出が残る街「三茶」に再び住み始めたのが、2011年の春。しかし東京〜いわきは意外と近いので、地元での撮影も継続中。同郷であるASA-CHANGのプロジェクトのサポートやa-bridge×いわきのイベント「chocolan chocolan」に参加。兄3人、完全なる末っ子気質。中高一貫してソフトボール部でDH、打撃だけは自信あり。好きなものはレバ刺し、プロレス、喫茶店。たまにACADEMIC ANIMAL関連のライブ撮影というか、帰路の運転手として暴走。
【福島】

あの日、地盤の強い山の上にいました。

それでも生まれて初めて「死」を覚悟する揺れでした。

その時、撮影していたので1人ではありませんでした。

2時間ほどその現場で待機して祖父がいる老人ホームに向かいました。

山から坂を下ると、道路が曲がっていたり、陥没していました。

追い打ちをかけるように雪も降りだしました。涙もボロボロ落ちてきました。

しかし、それも免許を持っていて車があったからできる行動でした。

そんな当たり前のようなことにすら、感謝する孤独で長い移動時間でした。

街全体が混乱する中、渋滞する中、辿り着きました。

大きな揺れに驚いていた様子ではありましたが

祖父は「無事でよかった」と私を心配してくれました。

老人ホームは自家発電の設備が付いていました。

電気も暖房も、テレビもついていました。

水道が止まっていない地区だったのでトイレも使えました。

14:46から、約3時間。

この時点で感謝する「たまたま」がいくつもあります。

「もし海の近くにいたら」

「もし建物の下敷きになっていたら」

「もし車を持っていなかったら」

「もし老人ホームが崩れていたら」

「もし一人だったら」

たまたま、色んなことを回避しました。本当に紙一重です。

先ほど、久しぶりに携帯電話から発せられる

「緊急地震速報」の音を聞きました。硬直しました。

地元いわき市と

福島第一原子力発電所がある浜通りは、震度4でした。

恐怖を感じるには十分すぎる大きさの揺れです。

「地震怖かった」の後に「原発大丈夫かな?」と続きます。

悲しい組み合わせです。

私は、たまたま、福島県に生まれました。

それだけで、酷いことも言われました。福島県人という理由だけでです。



福島県に生まれ育った私に一体、何ができたでしょうか。

物心ついたころから知識を増やし

反対運動をしていたら、言われなくて済むのでしょうか。

いっぱい勉強して科学者になっていれば言われなかったでしょうか。

酷いことをいう方は

酷いことを言うだけで、他に何も教えてくれません。

ただ、ただ、私は生まれ育った地元が大好きです。

たまたま、生まれた「福島」が大好きです。ただ、それだけです。

先ほど「緊急地震速報」を聞いて

いろいろこみ上げてきたので、その勢いに乗ってのブログでした。そして、本心です。



これは2012-01-12に書いたものです。
諸事情によりUPするのが遅くなりました。

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