GENZ
ACADEMIC ANIMAL
GENZ
宇宙の中の地球系
2003年、ボーカルChiyoと、ギターAtsushiにより結成。独特の詩的世界観をもつChiyoと、その世界観を自らのギターやアレンジでロック、アンビエント、アコースティックに表現するAtsushi。よりトリッピーに、よりオープンにその空間とコラボレーションをイメージし構成と編集を変えて挑むスタンスは、彼らの根底にある場所やジャンルにとらわれない幅広い音作りの可能性の探求そのものである。'08年MuKu Magazineのコンピレーションアルバム「MuKu Compilation」(DIW THE GARDEN)への参加で、その世界観の片鱗を垣間見せたGENZ。RAVE会場からカフェスペースまで、音の制限を際限なくコントロールし、より優しく、より強く、宇宙規格的世界観を呈示し続けている。満を持して'09年 ACADEMIC ANIMALレーベルより1st Album「Cosmic Standard」をリリース!
www.mogella.com/genz/
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・・・

santouka-image.jpg


今日は種田山頭火(1882年~1940年)という俳人を紹介したい。
彼は私が最も敬愛する俳人の一人である。

GENZの曲で「徘徊」という曲があるが、あれは山頭火のことをうたった歌である。


彼の壮絶な人生。
幼いころに母親が、そして弟と父までもが自殺してしまい、彼も命を断とうとした。


だけど彼は死なずに生きて俳句をつくる道へと進んだ。
山から山へ、村から町へと旅をしてひたすら句を作った。
その数およそ八万四千句。


ハンパない数である。


彼の句は自由律俳句と呼ばれるもので、
五七五や季語にとられない自由なものである。
つぶやきのような、こぼれおちた言葉言葉言葉言葉。


その迫力と言ったらない。


そんな山頭火の句が、ついったーという新しいツールを使って
30分に一句、世界に向けて発信されている。
まさに山頭火のつぶやきなのだ。


種田山頭火 句集
http://twitter.com/Santouka_bot


このみちをたどるほかない草のふかくも


ならんで竹の子竹になりつつ


うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする


どうしようもないわたしが歩いてゐる


いそいでもどるかなかなかなかな


わかれきてつくつくぼうし


天われを殺さずして詩を作らしむ


寝床まで月を入れ寝るとする


山のしづけさは白い花


死はひややかな空とほく雲のゆく


花が葉になる東京よさようなら


草の青さよはだしでもどる


つくつくぼうし鳴いてつくつくぼうし


捨てきれない荷物のおもさまへうしろ


分け入つても分け入つても青い山


ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない


ぢつと瞳が瞳に喰ひ入る瞳


旅もいつしかおたまじやくしが泳いでゐる


炎天のレールまつすぐ


うしろすがたのしぐれてゆくか


すべつてころんで山がひつそり


次々と繰り出されるうた。
山頭火がすぐそこにいるように錯覚する。


21世紀。すごすぎる!!!


山頭火~!!!
70年たってもあなたの残した句をみんなが読んでるよ!!


そんな感じで、日曜日ライブです☆


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■ 2010/3/28(日)
渋谷 RUBYROOM
http://www.rubyroomtokyo.com/


TIME: 18:00~23:00
PRICE: 2000(1D)


LIVE: 乙女心/MID COCO/GENZ
DJ: IZPON


☆GENZのライブは 18:45~


ruby_omote.jpg


Writing : Chiyo

NO TITLE

tw01.jpg tw7142.jpg


お友達のくさちゃんが持っていたタワレコの冊子にこんなことが書いてあった。
YUKIの言葉だ。


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価値観の変化の時代。
今ある幸せに気付く能力を養うことが重要になり、
「物」から「心」の時代になっていく。
それゆえに、目には見えない空気の波動で、
心を強くしたり柔らかくしたりする役割の音楽は
今まで以上に人間にとって大切となる。
(YUKI)

http://tower.jp/nomusicnolife/details/2166
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ぐっと来た。


ちょうど私たちは、jujumoのライブを見に来ていたところだった。
jujumoはGENZとも一緒にイベントをやったりしたことのある素敵なユニット。
現在 沖縄を拠点に活動している。


jujumo
http://jujumo.net/


jujumoの音楽は、心にダイレクトに響いてくる音楽で、彼らがライブで作り出す空間の中にいると、
うれしい・しあわせ・さみしい・なつかしい・せつない、
といった様々な感情が全部混ざって押し寄せてくる。


その揺さぶられる感じがなんとも心地よくて何度でも体験したいと思う。


ああ!! この状態は音楽が作り出せる特別なものなんだ!!
そうか!! だからみんな音楽を求めて生きているんだ!!


YUKIの言葉の効果もあって、私、わかっちゃった。


いい夜だった。


YUKIちゃんの文章は、3月までタワレコの冊子に載っているみたい。
他の人の言ってることもここで読めるよ!


NO MUSIC, NO LIFE.
http://tower.jp/nomusicnolife

Writing : Chiyo

異世界へ行ったトラック

廃品回収かなんかのトラックが、洗車機みたいなやつに飲み込まれてしまった。
トラックに乗っていた作業員3名は、トラックもろとも洗車機の裏側の世界へ入ってしまう。


洗浄機の裏側は、真っ暗な狭い通路で、前方は既に閉じてしまっている。
だからトラックはバックでしか進めない。
彼らはしかたないので、狭い通路をバックで進む。


どうやら、ここはコンクリートでできた建物の内部らしい。
やがてトラックは広いところに出たので向きをかえると、出口を探して建物の中をウロウロと走った。


そこは、ショッピングモールなどによくあるような立体駐車場のような場所である。
地下ではなくて、地上数階建てのだだっ広い古臭い駐車場。
ところどころから日光がもれてあたりはぼんやりと明るい。


他に止まっている車はなく、やたらとガランとした印象だ。


壁際に何箇所かシャッターが開いているところがあり、光があふれている。
トラックの作業員たちは、そこから脱出できると感じとり、急いで光の方へ向かう。
だけど、トラックが近づくと、シャッターがガシャーンと閉まってしまう。
ハンドルを切って次の出口に向かっても、同じようにシャッターは次々と閉まってしまう。


あきらめた作業員たちはトラックを適当な場所へ止めて歩き始める。
トラックを止めたすぐ近くには、青空が見える中庭のようなところがある。
そこには小さな事務所のような建物があって、受付の小窓がついている。
事務所の横には上へと登る階段。


作業員たちがそちらへ向かい、受付の小窓を覗いた。
すると、そこには、映画館の受付嬢のような人がいてチケットを販売していた。


チケットは大人1人1,000円。


3人ともチケットを買う。そして、受付嬢に、横の階段を登っていくように指示され、それに従う。


階段の途中には、浮浪者のような、うす汚い男たちがごろごろ寝ている
その男たちは寝ているにも関わらず、みんなひっきりなしに手を動かしている。
何も持っていないのに、何かを配っているようなしぐさだ。


この人たち、何だろう・・
と思いつつも、作業員たちは階段を登っていく。


上の方へ行くと、そこは駐車場の屋根の上で、晴天の日光の中に何千人もの作業服を着た老若男女が座っていた
そして口々に何かを言い合ったり、カードのようなものを交換したりしている。


3人の作業員たちが呆然として立ちすくんでいると、彼らの目の前にしゃがんでいた女が話しかけてきた。前歯が欠けた女。


「あんたたち、新入りかい?
 じゃあ、ここのルールを教えてやろう。
 ここじゃあね、みんなひたすらギャンブルをしてるんだよ。
 なぜかって?それはね、ここで20万円ためないと出れないからだよ。」


作業員たちはあたりをもう一度見てみる。確かに、ここにいる作業服の人たちはみんなギャンブルをしているようだ。


「ここに集められてるのはね、社会にとってお荷物な連中ばっかりなんだよ」


そういって、女は隣にいた男の肩をたたく。男がぐへぇと笑って舌を出す。


作業員たちがドン引きしていると、急にそこに居た全員がザッと立ち上がった。
全員が一つの方向へと顔をむけている。


3人が驚いてみんなの視線を追うと、そこにはスタジアムの入口のような通路があり、そこを一人の男が布団を担いで出て行くところだった。それを見送りながら、何千人もの作業服の人々が一斉にこんな声を出す。


イェ~ン テェチェン トゥェ~ン...


それはユニゾンで音程もタイミングもばっちりあった歌のような呪文のような不思議な掛け声だった。
敬意と哀愁と愛情のまざった何ともいえない声。


作業員たちはなぜか感動してしまった。


「今のはね、ここを出て行くものを送るための歌なんだよ。」


さっきの女が教えてくれる。


布団を担いで出て行った男を家族が迎えて再会の抱擁が交わされているのが見えた。


「ああやってまじめに稼いで出て行く奴もいれば、なまけてずっとここに居る奴もいる。
 最悪なのは、いくらお金がたまっても出て行こうとしない連中さ。」


新入りの3人の作業員たちは、自分たちの置かれた運命を徐々に把握し、自分たちは絶対にここから出てやるんだとそれぞれ誓い合うのであった。。。


(2009/11/09 夢日記より)


夢日記全文はこちら
http://www.mogella.com/dendo/dre/


Writing : Chiyo

キムの出した答え

最近、えらく感動したことがあった。
それは、「ワン・ツー・スリー」ってやるあのTV番組で見たこと。


脳科学者 茂木健一郎先生のプレゼンで、サヴァン症候群のことをやっていた。


サヴァン症候群とは、知的障害や自閉性障害がある人の中で、ある特定の分野において尋常ではない能力を発揮する症状のこと。
たとえば、曲を1回聞いただけでそのとおりピアノを弾いてしまうとか、桁の多い計算を瞬時にやってしまうとか、一瞬見ただけで細部まで本物そっくりの絵を描いてしまうとか。


このように、サヴァン症候群と言われる能力はさまざまなものがある。
裸の大将で有名な山下清も、旅から帰ってきてから記憶を頼りに絵を制作していたとのことでサヴァンだったのではないかと今では言われている。


サヴァンには、学者もいれば芸術家もいる。
中でも芸術家タイプのサヴァンが作り上げる世界は人の心を打つ何か特別な力を持っているのだ。


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スティーヴン・ウィルシャーの胸をうつ風景


番組でも紹介していたスティーヴン・ウィルシャーという人の絵をみてほしい。
彼は、一度見た建物や街並みを記憶し、それを紙の上に細かく描くことができる画家。
風景を見ながら描くのではなく、記憶をもとに描く。


スティーヴン・ウィルシャーのHP
http://www.stephenwiltshire.co.uk/


こちらのコーナーで絵を見ることができる。
http://www.stephenwiltshire.co.uk/gallery.aspx


機械のように正確なのに、すごくあったかい。なんなんだこれは。ずっと見てられる絵だ。
なんだか子供ころから大好きだった安野光雅の 「旅の絵本」 に共通する魅力があるんだよね。


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レスリー・レムケ 母にささげた奇跡の演奏


そして、こちらも紹介したい愛のサヴァン。


レスリーは脳に障害を持って産まれ、幼いうちに両眼を病気で失った。
そんな彼を実の両親は捨ててしまい、メイ・レムケという人に育てられることになった。
このメイがすばらしい人で、深い愛情とともにレスリーを育て、やがてその才能に気がついた。


そう、レスリーは一度聞いた音楽をすぐピアノで弾いてしまうという驚愕の能力を持ったサヴァンだったのだ。



↑これは英語だけど、どのようにして彼の才能を知ったのかを語るメイ。
 テレビでやっていた曲を、誰も教えてないのに夜中にレスリーが弾いていたそうな。


こうして、レスリーとメイの各地をコンサートでまわる日々が始まった。
で、こっからがすごい泣ける話なんだけど、


月日は流れ、やがてメイの脳はアルツハイマーに侵され始める。
病気は進行して、彼女は自分が何者なのかもわからなくなり、感情もなくなり、誰よりも愛した息子のレスリーもわからなってしまった。


無表情でじっと座るだけの母。


ある日、レスリーは自分の母にささげるために二人で歌った思い出の曲を弾きだした。


素晴らしい演奏と歌を披露する息子。息子の横でじっと耳を傾ける母。その顔は無表情。
やっぱり大好きな曲もわからなくなちゃったんだなーと思った矢先。


曲がサビにさしかかると、メイが両手を天に掲げて歓喜の表情をした!!!!
そして力のかぎり歌いだすメイ。
その少女のような純粋で嬉しそうな顔!!!!!


その顔!!!! 喜びがほとばしる、その顔!!!


私の胸はいっぱいになってあふれる涙を止めることができなかった。
残念ながらこの映像はネット上で見つけることができなかったけど、みんなにもみせたいなぁ。
どっかにないかな。。


茂木氏が言うには、幸福と結びついた記憶は思い出しやすくできているそうだ。
辛い記憶はいつまでも残りそうだけど、実は忘れちゃうものなんだね。


幸福と結びついた音楽はアルツハイマーを撃退して一瞬かもしれないけど、本当のメイが戻ってこれたんだ。
わたしもいまのうちに幸福と音楽を結びつけておきたいと思う。
そしたらボケても思い出せるかも。


よい話だわ。


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キング オブ サヴァンの出した答え


さて、ここでやっと、本日わたしが一番紹介したかったサヴァンを登場させう。


その名はキム・ピーク。キング オブ サヴァン と言われる人。
映画 『レインマン』 のモデルにもなった。


九千冊の本を暗記する男 ― サヴァン症候群とは
http://x51.org/x/05/12/1952.php


キムは、お父さんの助けなしでは生活できないくらいの重度な障害をもっている。
お父さん、半端ないわ。キムもすごいけどお父さんもすごい。


靴下も一人ではけないようなキムだけど、でも彼は 9,000冊もの本を暗記している。
ノンフィクション、フィクションに限らず、あらゆる種類の本を。


一番好きなのは電話帳だそうだ。
どんどん内容がかわるからだろうか。


でも彼の能力は、これだけじゃない。
彼の場合、今まで紹介したサヴァンのように、あるひとつのことに対して神的能力を持っているのではなくて、ぜんぶ、すごいのだ。


彼は全てを知っている。


たとえば、茂木さんが自分の誕生日を告げると、生まれた日が何曜日か即座に教える。
ついでに今年の誕生日の曜日と定年するときの曜日も。


茂木氏は、計算で出している答えとは思えない、と言っていた。
なぜななら早すぎるから!!!!!
カレンダーが目の前に見えてるとしか思えないというのが茂木先生の感想だった。
まさに神のような人。


そんな人類の全てと、それ以上のことを知っているキムが出した答えがある。
番組の中で、彼はそれを教えてくれた。


それは人類の歩むべき方向を示していると言っても過言ではないほどすごい言葉だったので、ぜひとも紹介したいと思う。
その言葉がこれだ。


他の人との違いを認めてそれを尊重しよう。
自分がして欲しいと思う事を人にもしてあげよう。
そうすれば この世はもっと良くなるから。



画像だけ出るのでリンクは残しておくけど、残念ながら動画は消されてしまった。
残してほしかったな・・・。


キムが言ったことは、すごく明確で単純なこと。


つまり、All you need is LOVE. 愛こそすべてなのだ。


このキムの言葉を重たく受け止めたいと思う。
そしてみんなに伝えたい。


Writing : Chiyo

脳インターフェース

マトリックス


すごいものを知ってしまった。


ブレイン・マシン・インタフェース という代物。


これを知ったきっかけは、NHKスペシャルである。
「脳がコンピュータを動かし道具を使う」回路だそうで。脳の神経から直接信号を受け取ってコンピュータを動かす。まるでマンガやSF映画の世界だけど、何年も前から実現してたらしく。


実際に、人間でも実験中で、体が不自由でマウスなどの操作ができない人でも、頭に電極を差してパソコンを操作できるようになる。私が見たテレビの映像では、頭に電極を刺した人が、自由にマウスを動かして普通にパソコンを使っていた。
英語だけどこちらにその映像が。



頭でこうやって動けって考えるとマウスがそのとおり動くそうで。

次はCBSドキュメントで放送されたもの。
こちらの人は、電極は刺していなくて脳細胞が発する微量な電気を感知できる帽子をかぶって文章を作ったりしています。



文章の記事はこちら。


進化する「脳?コンピューター直結インターフェース」
http://wiredvision.jp/archives/200505/2005050603.html


なんかすごすぎる。。。


これを応用すればつまり、全身麻痺状態の人でも、頭さえはっきりしていれば、電気をつけたり、車椅子を動かしたり、ドアをあけたり、と活動範囲を大幅に広げることができる。小説だって書けるし、絵も描ける。料理だってできるかもしれない。


それから、失明した人でも、カメラと脳をつなげれば、また景色を見れるようになるのだ。
実際にこのカメラをつけている人がテレビに出ていた。見た目がもうSFチックである。


人工眼:イエンス・ナウマン
http://sci.gr.jp/project/nhksp/text_3.php


この人口の目は、はっきり見えるわけではなくて、光が見える程度だそうだが、これの研究が進めば制度もあがるんじゃないだろうか。すごい技術だ。
けど、線のつなぎ方を間違えた時に発作を起こして倒れた、とか書いてある。。


「サイボーグ技術が人類を変える」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/051105.html


脳に直接なんか刺すって、恐ろしい技術であるけど実に画期的だ。


私はかねてから、自分の想像した映像がそのまま作品として簡単につくれればいいのに、って思っていたので、この技術にすごい可能性を感じてしまった。
こういうのがどんどん進化したら、直感的にすごい映像がつくれちゃう時代が来るかもしれない。


と、ここまでは、あくまでも人の道具としての話。
ここから ブレイン・マシン・インタフェース の真の姿を紹介しよう。


こうして、読んでくると、脳とマシンを直結するのは便利なように思える。
近い将来、これらが普通のことになるかもしれないという可能性も感じる。


だけど、少し視点を変えてみよう。


脳とコンピュータをつないで、コンピュータを操作できるってことは、もしかして、逆もできるんじゃないか???


いや、まさにその通り。
テレビではネズミを使って実際に事件されていた。


何をって???


リモコンで動く生きたネズミだよ~!!!!



ひーー。


これは実に恐ろしい実験だった。
ネズミの脳に電極が刺さっていて、リモコンで右へ、左へとやると、彼はそのとおり動く。
指令の通り動けば快楽中枢を刺激してネズミはとっても気持ちよくなる。だからネズミはどんどん電気の命令に従うようになる。
記事はこちら。


ネズミの脳に電極を埋め込みリモコン操作する研究
http://wiredvision.jp/archives/200205/2002050801.html


このリモコンネズミにカメラをつければ被災地とか活躍するとか期待されているらしい。
でもこれが人間で行われるとか思うとだいぶ怖い。


こんなものの研究を進めていくと、脳をいじくって、パソコンをリカバリしたりカスタマイズしたりするみたいに、全く違う人格・能力の人間を作りだすこともできちゃうかもしれない。


ああ、こわい。


脳みそをいじって人類が幸せになるのかどうかまったくもって分からない。
多くの人を救ったり、飛躍的な進歩を期待できるような明るい未来も想像できるけど、危険な方向にも無限に道がある感じ。
ようは、人類の倫理にかかっているわけだ。


気になる方はこちらも一気にどうぞ。
http://www.youtube.com/view_play_list?p=533D3EAFCCACD2EA


Writing : Chiyo

シミュレーテッドリアリティ

シミュレーテッドリアリティについて延々と考えた。


簡単にいうと、この世界はどっかの誰かが作ったシミュレーションなのでは....? という発想。
このような仮説を読んだり聞いたりすると、私は恐怖にも似た興奮を感じる。


だって、これは私が物心つくころからずーーーーーっと考えていることなのだ。


この私の妄想 (?) の始まりは、「他人」 というものを意識しだしたところまでさかのぼる。
自分自身は自分として認識して、この世界に存在している。
私はわたしの内側から世界を見ている。


私からみた家族や友達は、私の外側にいる。
つまりそれが自分以外の人だ。


その自分以外の人たちは、どうやって自分自身を認識しているのだろうか?
私と同じように自分の内側からこの世界を感じているのだろうか?


学校にいる間は、クラスメイトと同じ空間にいるけど、家に帰ったとき、私から見えなくなった彼らは果たして同じように存在しているのだろうか??


極端なことを言うと、私が存在しなくてもこの世界は存在するのだろうか???


私が存在しなくなれば、もちろん私にとって世界は存在しなくなってしまう。
だからこの答えは永遠に知ることができない。


もしも私が見てないときの世界が変わらずに存在するという、何らかの証拠がつかめれば、この世は現実なんだと確信することができる。私は大人になった今でもこの疑問を考え続けている。


だから、人と世界と宇宙に興味があるんだと思う。
本や映画や街中のちょっとした風景にも異常に感情移入してしまうのはこのせいかと思われる。


この Wiki の記事には、私がこうして漠然と考えていた不思議な感覚が、より科学的に詳しく書いてあったのだ。
幼いころの私には 「シミュレーション」 という概念がなかったのでうまいことこの疑問を言葉にできなかったが、そう、まさにこれなのだ。


私はずっと自分自身が高度な技術によって作られた 「シミュレーション」 の中にいるのでは? という感覚をぬぐい切れずに生きている。


「シミュレーテッドリアリティ」 のページを読みすすめ、私は心のどこかで、最終的に「これは空想の世界で...」ってゆう一言を期待していた。
私の子どもころからの妄想を妄想として片付けてくれる一言を。


でもその一言はなかった...!!!


Wikiによると、この世界が 「シミュレーションではない」 という証拠はまだ見つかっていないと書いてある。
人類が現在までに発見したこの世の現象についてコンピュータで再現できないようなことはまだ起こっていないらしい。


そうなんだ...。 やっぱりそうなんだ...。


学者のみなさんがそういう結論に達したというのはかなりショックである。
これに対する反論は、「シミュレーションであるという証拠もない」 という当り前のものだが、全く安心できない。
だって、つまりどっちも同じくらいの確率でありうるわけで。。。。


こえーー。
今はまだ誰も 「シミュレーションではない」 と言い切れないんだ。


ここまでの話を読んで、映画『マトリックス』 を思い出した人も多いであろう。
あの映画はまさにこの感覚を具体化したものかと思う。


わたしは、特に何の前情報もなしにこの映画を見に行ったのだが、ネオがマトリックスから目覚めるシーンで気絶しそうになったのを覚えている。


これだよ!! これ!! 私がずっと恐れているのは!!!!


この映画って哲学的で難解だけど、すごく的を得ていると思う。


インドでは 「この世は神の夢」 って発想もあるそうで、「シミュレーテッドリアリティ」 という概念は人類の永遠の悩みなんだねきっと。


それでは、この宇宙そのものがシミュレーションかもしれないという仮説のもとにいろいろ考えてみたい。
(ここまで文章は前置き。。。)


私はかねてから、宇宙は本当に何もないとこから始まったのか??? という疑惑を持っている。
今のところ 「宇宙はビッグバンで始まった。その前はなにもなかった」 という説が有力とされている。


でもさ、何もないってどういうこと???


私にはそれが全く理解できない。何もないところからどうしていきなり宇宙が生まれるのか。
その前は時間もないってことでしょう?? 宇宙を作っている材料はどっから来たの?


ぜんぜん、ピンとこない。


それで私が最近たどり着いた考えはこれだ。


【宇宙はマッチを擦った瞬間である。】


うん。これに違いない。これは、友達にもらったDVDを見ているときに思いついた。
そのDVDは物体をどんどん拡大してくと何が見えるかってのをひたすらやる映像。


これがすごいんよ。

金属をどんどん拡大していくと、整然と並ぶ ○○○○○ が見える。

原子だ。


誰もが考えることかと思うけど、この小さな世界は、小さな宇宙で、小さな人が住んでいるんじゃないかって思ってしまう。
でもこうして整然と並んでいるのを目撃すると、私の知っている宇宙とは似ても似つかなくてやっぱり小さい人はいないのかな...?? とさみしくなる。


でも今の技術で見れるのって、金属とか安定した物質だけなわけだ。
もっといえば、もしかしたら原子とか電子が最小じゃないかもしれない。


本当の小さな世界はまだ誰も見ていないのだ。


特に、柔らかいものや熱いものなど、激しく動いているものはどうなってるか計算で予測はできるだろうけど、本当に隅々まで目撃した人はいない。


たとえばマッチを擦った瞬間とかの熱がボワっとなるときの原子の世界ってどうなってるだろう???
もしかしたら、ビッグバンとそっくりなことが起きているかもしれない。


マッチを擦ってみる。
ボワっと火がついてしばらく燃えて消える。


これを原子の世界目線で見てみよう。
小さな小さな世界では、私たちにとって一瞬の出来事でもその中に暮らす人の時間では、何百億年も経っているかもしれない。


その人たちの世界は唐突に出現して膨張して、果てしない時を経て消える。
私たちの宇宙も膨張している。


地球は太陽系の中にあって、太陽系は天の川銀河の中にある。
銀河はゆっくりと回転しながらお互いどんどん離れて行っている。
私たちの銀河はアンドロメダなども含む局部銀河群と呼ばれる銀河群の中にある。


その銀河群や銀河団が集まって超銀河団というのを形成している。


超銀河団は壁みたいになっている。
壁と壁の間には何にもない空間が1億光年も続いている。
そしてそれらの壁や何にもない空間が複雑に並んでまるでシャボンの泡のような形を作っている。
これが、宇宙の大規模構造だ。


ここまでが、かろうじて人類が把握している世界。


その果てには何があるのか。
もしかしたらマッチを擦った張本人がまさに煙草に火をつけ終わったところかもしれない。


宇宙は誰かがマッチを擦ったところから始まった。
宇宙が唐突に出現したことを理解するには、このように解釈するほかない。


さらに今回の 「シミュレーテッドリアリティ」にからめて考えをすすめてみよう。


恐ろしいことに、コンピュータはマッチを擦って火が燃えるという現象をシミュレートすることができる。
たとえばものすごく発達した文明のコンピュータを使えばマッチを擦ったときの様子を実物と寸分たがわずにコンピュータ上で再現できるようになるかもしれない。


そしたらそこにはバーチャルな宇宙が生まれる。
見ている側の時間で再生したら一瞬で終わるけどシミュレーションなのでゆっくり動かしたり、巻きもどしたり、停止したりできる。


でもこの 「シミュレーション」 の中にいる人にとって時間は一定方向に進むものであって
巻きもどされたり止まったりしてるのには絶対に気づけない。


もしも、「シミュレーション」の中にいる人にその世界が仮想現実であることや、創造者である自分の存在を知らせたい場合は、プログラムの中に何らかのメッセージを含めればよい。
反対に、メッセージやバグが一切ない 「シミュレーション」 を作れば、その中にいる人は永遠に真実を知ることはできない。


でもメッセージはともかく、バグが一切ないプログラムなんてどんなに仕組みが違う世界であっても、作れないんじゃないかな????


この宇宙が 「シミュレーション」 であるという説を唱える人たちの中には、その証拠として、このようなメッセージやバグを発見しようと研究している人たちがいる。


映画 『マトリックス』 では、デジャヴ(既視感)を一種のバグとして紹介している。


私の大好きな科学者/作家のカール・セーガンは、その著書の中で創造者からの 「メッセージ」 について触れていた。


この本を読んだときはあまりピンと来ていなかったが、Wiki の記事を読んで、改めて 「そういうことだったのか!!!」 と亡き博士の思いを感じることができた。


実際にはまだそんなものは見つかっていないが、出てきちゃったらどうしよう・・・・怖い。
ううう怖すぎる!!!!!!


やっぱりこの考え方は途方もなくて恐ろしい。
でも私は、世界がこの宇宙だけだという考えは夢がなくて好きではない。
宇宙がシミュレーションであろうとなかろうと少なからず外側があると私は思っている。


小さい世界にも必ず宇宙があると信じている。


世界は無限に果てしなく続いていてほしいのだ。
私が必至で「外へ...外へ...」と歌う理由はそこにある。


最後に、私たちの宇宙はぞっとするくらい美しいのでその写真が見れるサイトを紹介したい。


HubbleSite - Gallery
http://hubblesite.org/gallery/album/
※ハッブル宇宙望遠鏡の写真ギャラリー

Writing : Chiyo

クオリア

今日はひとつ新しい言葉を知った。

クオリア


これ、やばい。すんごい身近なくせに説明するのが超難解。
秋口にかおる、金木犀のあの香。


匂いは言葉では説明できないけど、区別ができる。
このにおいは金木犀、こっちのにおいはアンモニア


二つとも、わたしたちの鼻を刺激しているというところは同じだけども、全く違うものとして区別される。
ではどうして区別できるのか。においが違うからよね。


そのにおいって何???
実体がないけどすごく確かなもの。


それがクオリア。


においってのは、言葉では説明できないけど、感覚的に確実に区別ができる「もの」でしょ。


それがクオリア。


和音が鳴っているのをきいて、あー、マイナーコードだわー。とかわかる感じ。
カレーを食べて、カレー味がすること。
これ、全部わたしが感じるクオリア。わたしの中でわかっている感覚。


うーんと、余計にわからない説明になってるね。


クオリアとは、つまり、わたしたちが世界に触れて感じる感覚。
他人とは決して共有できない、でもみんながそれぞれ持っているもの。


例えば、「赤」という色は、ある波長の光である。これが目に入ったとき、わたしたちにはあの色が見える。
赤という波長をあの色に感じさせているもの。それがクオリア。


もしも、世界を感じとる部分 (クオリア) だけを交換できるとして、わたしとこの日記を読んでいるあなたが入れ替わったりしたら? 今まで通りに世界を認識できるだろうか??


赤を見て、赤とわかるだろうか???


わからないと思うな、わたし。


この妄想、わたしにとってはお馴染みのやつ。小さいころから、感覚の交換を想像して遊ぶのが好きだった。絵を描くのが好きだったせいか、特に色についてあれこれ想像した。


わたしには赤に見えているものが、他の人の場合では、わたしでいうところのミドリに見えているかも。
もしもその人の目でわたしが世界を見たら、色調が逆転してキモワルイことになるハズ。


これって学者さんたちもずーーーっと考えてたことだのね。どおりで謎が解けないわけだわ。


手塚治虫が 「クオリア」 について表現していると思われる作品がある。


これだ。


火の鳥 『復活編』


火の鳥 『復活編』


ネタバラシになるのであまり詳しく書かないけど、このお話は、事故って瀕死の少年が人工脳をつけられて生き返るところから始まる。人工脳になった少年には、人が土塊や無機質な無気味なものに見える。手触りも同様。


火の鳥 『復活編』のサムネール画像


人工脳は生命を維持できたけど、クオリアを再現できなかったのだ。


作品中では 「クオリア」 という言葉は出てこなかったと思うが、概念的にはまさに 「クオリア」 の話だ。
クオリアがない人っているのだろうか。


火の鳥の主人公だって、生身の脳のときと違っているだけで 「クオリア」 は損なわれていない。
「クオリア」 がないとは、つまり、赤の波長が目に入ってきたときに、赤と認識するけどあの色は感じていない状態????


これは感情が欠落している、のとは全く異なる。
入力 → 解釈 → 出力 はするけど、そこに【質感】が伴わない状態。


パソコンか?


うん、「クオリア」 が欠落しているのは、生き物ではありえなさそうだわ。
マシンだね。


例えば、機能的に人間と寸分違わないロボットがいたとする。
彼は色も認識するし、甘い味とか辛い味とか、臭いとか、いろいろ人工頭脳が検出して認識する。
このロボットにはもちろん感情もある。
人のあらゆる感情のパターンが入っているから状況にあわせて適切な反応を選んで表現する。
学習もする。


このロボと人は何が違うか。

「クオリア」 だ。


ロボは検出して認識するからクオリアがいらない。やばい。脳ってやばい。
クオリアは生きているから必要なものなんだ。脳は精密機械に例えられるけど、違う。


脳は生きている。


赤い色を 「630-760 nm の光だ、だからこれは赤。」 なんて機械的に解釈してたら日が暮れる。
それよりも、「色を見る」 というクオリアの仕掛けを使って瞬時に世界を理解しているのだ。


クオリアってすごいな。


ちなみに、クオリアを持っていない、想像上の存在を 「哲学的ゾンビ」 というらしい。


↑わたしがここで書いてたことには間違いがあるかもしれない。専門じゃないのでごめんなさい。


こちらの 3ページには、わたしには「赤」に見えているものが
あなたでは「青」で・・・という話がわかりやすく書いてあります。

http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kuoria.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kuoria2.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kuoria3.html


Writing : Chiyo

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